■「恋におちたシェイクスピア」ジョン・マッデン

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 1593年,ロンドン.テムズ川をはさんで,カーテン座とローズ座という二つの芝居小屋があった.芝居好きのエリザベス女王のために演目を競い合い,ローズ座ではシェイクスピアが新作コメディ"ロミオと海賊の娘エセル"を執筆していた.なかなか筆が進まないシェイクスピアだったが,カーテン座で豪族令嬢ヴァイオラと出逢い,一目で恋に落ちる.その一方,オーディションでトマス・ケントと名乗る俳優を見出したシェイクスピアは,人が変わったように台本を仕上げていくが….

 リザベス朝イングランドを舞台に,若き劇作家ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)と架空の令嬢ヴァイオラの運命的な恋愛を描いている.物語の背景には,16世紀のロンドン,エリザベス朝演劇の絶頂期が広がっており,2つの劇場が劇作家と観客をめぐって激しい競争を繰り広げている.北側に位置するカーテン座は,著名な俳優リチャード・バーベッジ(Richard Burbage)の拠点であり,テムズ川対岸には,資金繰りに苦しむ実業家フィリップ・ヘンズロー(Philip Henslowe)が経営するローズ座が存在していた.舞台設定は,映画のリアリティを高めると同時に,当時の劇場文化を鮮やかに再現している.脚本がシェイクスピアの生涯に大胆な解釈を施すことができた理由の一つは,1585年から1592年までの史料が乏しい点にある.映画冒頭,シェイクスピアが執筆に行き詰まり,丸めた紙を部屋中に投げ散らかしている.

 紙の一つが頭蓋骨の近くに落ち,これは『ハムレット』を暗示し,別の紙は箱の中に落ちて『ヴェニスの商人』を連想させる.細部の演出は,シェイクスピア作品への巧妙なオマージュとなっている.ヴァイオラの名前は『十二夜』に登場するヒロインと同名である.喜劇でヴァイオラは男装し,兄の名前を借りて行動するが,映画でもヴァイオラは「トマス・ケント」として舞台に立つ.映画の結末で『十二夜』が誕生する展開は,シェイクスピアの創作が実体験や現実の出来事から多くの影響を受けていることを暗示している.エリザベス朝演劇の文化的背景もまた映画の魅力を引き立てている.当時,劇場はロンドン市民の生活の一部であり,娯楽と社会的メッセージの発信地であった.ローズ座やカーテン座はロンドンに実在した劇場であり,ローズ座の財政難は当時の劇場経営の苦境を写実的に描いている.舞台設営や俳優たちの稽古風景もエリザベス朝演劇に関する詳細な研究を反映しており,史実的な信憑性が高い.

 本作は,恋愛と創作の関係を深く掘り下げている.『ロミオとジュリエット』の筋書きが,シェイクスピアとヴァイオラの恋愛から直接的な影響を受けたとする設定――仮題「ロミオとエセル,海賊の娘」――は,創作における愛の重要性を強調している.シェイクスピアの創作過程へのユーモラスな視点を打ち出し,偉大な作家のリアルな人間性に親近感を抱かせる演出である.また,エリザベス朝の重要な歴史的人物が多く登場する.クリストファー・マーロウ(Christopher Marlowe)は,シェイクスピアの相談相手として描かれているが,実際にはライバルであり,当時の劇作家の中でも高い評価を受けた人物であった.マーロウの謎めいた死にまつわる陰謀論も映画の奥行きを広げている.少年ジョン・ウェブスター(John Webster)は,劇作家としての片鱗を見せる.ヴァイオラの秘密を見抜く場面は,鋭い観察眼を示しており,後に悲劇的な戯曲を執筆する作風を示唆しているだろう.

 エリザベス1世(Elizabeth I)は,劇場文化の守護者として描かれており,クライマックスではその影響力を存分に発揮する.女王が演劇をどのように支持していたかを想像させる女王の描写は,映画に風格と魅力を与え,ジュディ・デンチ(Judi Dench)は圧倒的な存在感を放っている.エリザベス1世役でアカデミー賞助演女優賞を受賞したが,スクリーンに映った時間はわずか5分52秒であった.ジョセフ・ファインズ(Joseph Fiennes)は繊細なシェイクスピアの情熱と葛藤を体現しており,グウィネス・パルトロウ(Gwyneth Kate Paltrow)はヴァイオラとトマスの二重役を無邪気に演じた.ヴァイオラ役の候補に上がっていたウィノナ・ライダー(Winona Ryder)は,1997年当時,親友だったパルトロウが自宅で脚本を読み,自分に黙ってオーディションを受けたことを罵倒した.パルトロウはオーディションに合格し,本作でアカデミー賞助演女優賞を受賞した.それ以来,2人は断絶状態で口をきいていない.

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原題: SHAKESPEARE IN LOVE

監督: ジョン・マッデン

123分/アメリカ/1998年

© 1998 Miramax Film corp. and Universal Studios.

■「推理作家ポー 最期の5日間」ジェームズ・マクティーグ

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 たてつづけに起こる連続殺人は,ポーのアリバイを証明することになり,ポーは容疑者から一転,著作を汚す犯人を追うことを決意する.しかし,謎の殺人鬼は,ポーの婚約者エミリーを誘拐し,ポーに殺人の偉業を新聞に連載するように「挑戦状」を叩きつけてきたのだった.“死体”に残された殺人鬼からメッセージ.見逃したトリック.そして,奪われた恋人の行方を指し示す暗号.散りばめられたパズルを完成し,ヤツを捕えることができるのは,すべてを知り尽くしているポーしかいない….

 ドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)の死は,その劇的な人生を象徴するかのような謎めいた終焉であった.泥酔状態で泥まみれのまま発見され,幻覚に苦しみながら何かを口走り,興奮と妄言を繰り返した後,1849年10月7日に「神よ,この憐れな魂をお助けください」と叫んで絶命したと伝えられている.死の前夜,ポーは「レイノルズ」という名前を繰返し呼んでいたという.死亡証明書を含む医療記録はすべて失われており,死因については未だに多くの憶測を呼んでいる.悲劇的な最期の5日前,ポーは移民が行き交うボルティモアで姿を消していた.

 本作ではボルティモアを表現するため,ハンガリーのブダペストが撮影地に選ばれた.この選択は成功したとは言いがたい.ポーの文学世界は,孤独と狂気に彩られたゴシック調の耽美主義で知られる.短編「落とし穴と振り子」をモチーフとして,振り子で真っ二つに切断される男はルーファス・ウィルモット・グリズウォルド(Rufus Wilmot Griswold).作家兼批評家としてポーの死後に彼を貶める活動を展開した人物である.グリズウォルドはニューヨーク・トリビューン紙にポーの死亡記事を書き,さらに伝記でポーを堕落した酒飲みで麻薬中毒者の狂人として描いた.

 ポーの死後,グリズウォルドは遺されたポーの著作を盗み取り,遺言執行者を自称して利益を独占した.グリズウォルドによる虚偽の描写は数十年間にわたりポーの評価を方向づけ,ポーの実像を歪める結果となった.後年に芥川龍之介は随筆「ポーの片影」で"事毎にポーに反噛し,毒ついた男で,唯それだけで芸術史上に名を残された男"と断じている.ポーの文学とその受容史を振り返るとき,多面的な存在として再評価する必要がある.人生の悲劇と死後の名誉の失墜さえも,作品が持つ怪奇と幻想の魅力を増幅する一因となっている.

 原作の興趣が映画ではどのように生きているのか.残念ながら,完全に粉砕されていると言わざるを得ない.ポーの小説から断片的な要素をつまみ食いするだけで構成された映画は,体育会系のポーが雄叫びを上げて走り回るという,原作の持つ繊細な審美性を冒涜する形に仕上がっている.エンドクレジットには"Amontillado Productions"と記されている.Amontilladoという名称は,スペインのアンダルシア地方のワイン「アモンティリャード」に由来している可能性が高い.それ以上にポーの短編小説「アモンティリャードの樽」への言及であると考える方が妥当であろう.

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原題: THE RAVEN

監督: ジェームズ・マクティーグ

110分/アメリカ/2012年

© 2011 Incentive Film Productions, LLC.

▼『機械としての王』ジャン=マリー・アポストリデス

機械としての王 (みすずライブラリー)

 君主の栄光を讃える壮麗な騎馬パレード,宮殿を舞台に繰り広げられる究極の宴.多彩な芸術が花開いたといわれる絶対王制の時代に,スペクタクルが果たした真の機能とはなんであったのか.封建的秩序と新しい価値観が並存する社会にあって,その中心に君臨しすべてを操ったひとりの王.だが権力は,やがて国王個人の身体を後景に退かせ,国家というひとつの不気味な機械として立ち現れる――.

 主の絶対的な権力と,それを支える壮麗な文化が同時に花開いたルイ14世(Louis XIV)時代の文化的影響はフランス国内にとどまらず,ヨーロッパ全土に波及した.宮廷ではバレエが洗練され,王自身がダンサーとして太陽神アポロンを演じたこともある.ヴェルサイユ宮殿で行われた壮大な祝祭や劇場公演は,ヨーロッパ諸国の宮廷にも模倣された.この時代を振り返るとき,壮麗な文化の表層を眺めるだけでなく,それが果たした政治的機能と象徴的意味を考察する必要がある.ルイ14世の治世は,絶対王政の黄金期とされる.国家権力の顕示装置として機能したヴェルサイユ宮殿内で行われた祝祭や式典は,国家が自身を具現化する場であり,君主の権威を視覚的かつ身体的に実感させるものであった.君主の身体が国家の象徴として用いられた王は政治的な指導者ではなく,国家そのものを体現する存在とされた.

 朝の謁見の儀式では,王が起床し,着替え,出席者と簡単な会話を交わす一連の所作が厳密に決められたプロセスとして公開されていたという.この儀式は,王の日常を国家の運営そのものとして演出し,王こそが国家の中心であることを示すものだった.王が太陽神アポロンを象徴する衣装を身にまとい,宮廷バレエで踊る姿は,王権と秩序の調和として人々の記憶に深く刻まれた.こうした象徴的な身体は,やがて抽象化され,個人としての王の身体性を超え,国家という一つの機械的存在へと変容していく.この変容の過程を理解するためには,著者が示唆するスペクタクルの役割に注目する必要がある.スペクタクルは,視覚的な美しさや感動を提供するだけでなく,権力の象徴体系を構築し,維持するための重要な手段――オペラ,コメディ=バレ,入市式,騎馬パレードなど――,さまざまな形式のスペクタクルが絶対王権の文化的基盤として機能し,個人の精神や社会の価値観に影響を及ぼした.

 壮大な祝祭の準備には数週間を要し,宮殿内外の労働者たちが昼夜を問わず働いたという記録が残っている.また,騎馬パレードでは馬具や衣装の細部に至るまで王が直接指示を与えたとされ,これによりスペクタクルの完成度が極めて高いものとなった.徹底した演出は,観衆に対する王権の強大さと調和の象徴を鮮やかに示すことを目的としていた.ヴェルサイユ宮殿を中心に展開された祝祭は,国家がいかにして人々の想像力を支配し,秩序を維持するかを示す典型例であろう.これらの祝祭の舞台裏では,細部に至るまで徹底した計画が行われた.1685年の王の庭園の夜会では,宮廷庭師が数週間をかけて庭園の花を入念に植え替え,特定の日に満開となるよう調整したという記録がある.祝祭の照明には膨大な数の蝋燭が用いられ,その配置や点灯のタイミングが厳密に指示されていた.こうして,王を中心とした宇宙観が具現化され,貴族たちはその中心に引き寄せられ,支配下に置かれたのである.

 ヴェルサイユは王権の体系を具体化する恒久的な舞台であり,王はその舞台監督であった.宮殿の設計には,ルイ14世の個人的な趣味も大きな影響を与えたといわれる.庭園や噴水の設計に積極的に関与し,そのシンメトリックなデザインは宇宙の秩序を表している.しかし,経済や政治が自律性を高めるにつれ,王の身体的存在は次第に象徴性を失い,国家という機械的存在がその主役となる.この過程において,王権は重商主義を採用し,経済活動を活発化させることで国家の富を集中させた.同時に,貴族たちをヴェルサイユに住まわせ,その権力を削ぎ落す結果を招いた.国家は個人としての王を超えた機械的な権力装置へと進化したのである.象徴としての王権が国家機械へと変貌する過程は,権力の集中や経済的統制を超えて,人々の精神的構造にまで影響を及ぼした.ルイ14世は機械を操る王ではなく,やがて「機械そのもの」となった存在であった.

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Title: LE ROI-MACHINE - SPECTACLE ET POLITIQUE AU TEMPS DE LOUIS XIV

Author: Jean-Marie Apostolidès

ISBN: 462205003X

© 1996 みすず書房

■「THX-1138」ジョージ・ルーカス

THX-1138 ディレクターズカット [Blu-ray]

 25世紀.地下に広がるシェルターで,人類はコンピューターに支配されていた.そこでは,人々は名前すら持たずに番号で管理され,精神安定剤の服用を義務づけられながら黙々と作業に従事していた.そんな中で,THX-1138と彼の女性ルーム・メイト,LUH-3417は自らの意思で精神安定剤の服用をやめる.精神安定剤から解放された二人はやがて愛し合うようになり….

 来社会における人間性の喪失を描いた本作は,ジョージ・ルーカス(George Walton Lucas)のキャリアを語る上で欠かせない作品である.ルーカスが南カリフォルニア大学在学中に製作した短編「電子的迷宮:THX 1138 4EB」(1967)に由来している.製作時に,サンフランシスコの電話帳から任意の名前を選び,数字849が"THX"に対応しているという.15分間の短編は,ルーカスがフランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola)と親しくなるきっかけを作り,1969年にコッポラが設立したアメリカン・ゾエトロープの第一作として長編版が製作された.後にワーナー・ブラザーズやセブン・アーツ社(後のW7)との提携により,同スタジオは大規模な製作を行うこととなる.ルーカスは当時の学生としては異例とも言えるプロジェクトを立ち上げ,映画製作における未来を見据えていた.

 本作のロケ地には,サンフランシスコ,オークランド,東湾エリアが使用され,終盤の追跡シーンはアラメダ郡のカルデコット・トンネルで撮影された.映画内で登場する地下鉄システムを通るシーンは,当時まだ建設中だったベイエリア急行鉄道(BART)トンネルで撮影されており,実際の地下鉄の建設現場が映画に登場した珍しい例だ.ルーカスはエキストラを薬物リハビリ施設「シナノン」に通う患者たちから募集し,1日30ドルで出演してもらったという.映画が公開された当初,批評家からは未来的なビジュアルと非対話的な演出が注目され,一部ではルーカスの才能が高く評価されたが,商業的には成功を収めなかった.それにもかかわらず,ルーカスの映画作りにおける転機となり,後に手がける「スター・ウォーズ」シリーズにおいて革新的な映像技術や物語性の土台となった.

 ルーカスは,映画のビジュアルとムードを通して,対話に頼らずに観客に感情的なメッセージを与えることを目指していた.映画の公開から数十年後,2004年に「ディレクターズ・カット」が再発行され,デジタル技術を駆使して地下の世界の詳細が強調されたシーンが追加された.この再発行は,当時の映画制作技術を超えた先進的な映像処理の成果として注目されたが,オリジナル版は未収録であり,一部のファンから不満の声が上がっている.ルーカスの製作技術は,この時期から急速に進化し,CG技術を取り入れた次世代の映像作りの基礎が築かれていった.タイトルに含まれる"THX"という文字は特定の意味を持たなかったが,後にルーカスの作品や関連する音響認証システムに繰り返し使われることとなった.

 「アメリカン・グラフィティ」(1973)では車のナンバープレートに"THX 138"が記載され,「スター・ウォーズ」シリーズにも"1138"という数字が何度も登場する.映画における音響システムの革新も,後に重要な影響を与えることとなった.「スター・ウォーズ ジェダイの帰還」(1983)の製作中,ルーカスフィルムの技術ディレクターは映画の音響標準を向上させるために新たな音響システム「THX」を開発した.映画の音響を忠実に再現することを目的としており,映写,外部の雑音など厳しいチェックが行われ,映画館における音響体験の質を格段に向上させた.正式に認定された劇場には,THXのロゴマークが掲げられている.ルーカスが名付け親となった映画音響認証「THX」は,映画製作に革命をもたらし,音響の新たな世界的基準となった.

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原題: THX 1138

監督: ジョージ・ルーカス

86分/アメリカ/1971年

© 1971 Warner Bros

■「悪魔を憐れむ歌」グレゴリー・ホブリット

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 歩道の雑踏をすり抜けながら,殺人課のジョン・ホブス刑事は,殺人犯を追跡している.いたぞ,あの小柄な中年の女性だ.いや待て,殺人鬼はその横の気弱そうな男だ.と思ったら,もう別の誰かだ.そいつは誰でもあり誰でもない.なぜならホブスが追う犯人とは人間ではなく,コートの袖や手が触れることで人から人へ乗り移っていく,悪霊だからだ.不死身同然の魔物にホブスが迫る….

 ーリング・ストーンズ(The Rolling Stones)の名曲《タイム・イズ・オン・マイ・サイド》《悪魔を憐れむ歌》を題材として取り入れたオカルト要素を含むスリラーである.フィラデルフィア警察のジョン・ホブス刑事が逮捕した連続殺人犯エドガー・リースが死刑に処される.しかし,処刑後もリースと同様の手口で殺人が続き,ホブスはその犯人として疑われる.調査を進めるうちに,ホブスは殺人事件の背後に超自然的な存在"アザゼル"がいることを突き止める.アザゼルは憑依能力を駆使して人から人へと乗り移りながら殺人を繰り返す悪魔であり,ホブスはこの見えざる敵との熾烈な戦いに挑む.撮影監督ニュートン・トーマス・サイジェル(Newton Thomas Sigel)は,視覚的表現に特別な技法を用いた.アザゼルの視点を映し出す際には,特殊フィルム(エクタクローム)で独特の発色と質感を表現している.

 特殊フィルムは当時,スチール写真やファッション写真で広く用いられていたが,本作では400フィートに及ぶ撮影を敢行し,悪魔の異質感を視覚的に伝える効果を上げている.ジョン・ホブスというキャラクター名は,17世紀の哲学者トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)とジョン・ロック(John Locke)に由来している.ホッブズが提示した「人間は本質的に邪悪であり,社会による制約が必要」という思想と,ロックが提唱した「人間は理性的で平和的に共存できる」という思想が対比され,ストーリーに反映されている.また,アザゼルはヘブライ語でスケープゴート――贖罪の山羊――を意味し,レビ記16章に登場する悪魔的存在として知られる.贖罪の日の儀式では,山羊に罪を背負わせ荒野に放ったという.

 アザゼルの行動は,現代の責任の回避や罪の連鎖を暗喩している.《タイム・イズ・オン・マイ・サイド》は,映画の核心を担う.この曲の歌詞は,アザゼルが時間を超越した存在であること,人間にとっての時間の有限性を暗示している.また,街中で無作為に憑依が移る場面に同曲が流れることで,悪意の遍在性が指摘されている.この演出は,都市という現代的な空間を舞台にした不安感を巧みに増幅させるものだ.連続殺人犯を演じたエリアス・コーティーズ(Elias Koteas)はセリフの正確さを追求するため,シリア・アラム語を話す人物を訪ねた.しかし,宗教的な理由で冒涜的なセリフを話すことができないという問題が生じ,プロデューサーは代わりのアラム語話者を探す必要があった.このような問題は,映画製作における文化的・宗教的配慮の必要性を浮き彫りにしている.

 初日の撮影予定は暴風雨により大幅に遅れた.これにより製作スケジュールが狂い,現場では厳しい調整が求められたという.本作は,ホラーとスリラーを融合させ,哲学的な問いかけを含む面白い作品であるが,物語構造やキャラクター描写には難点がある.ホブス刑事役のデンゼル・ワシントン(Denzel Washington)の演技は堅実だが,キャラクターの弱さや絶望感が十分に描かれていない.ホブスのモノローグは物語を説明しすぎる傾向があり,視覚的な工夫を邪魔している.ジョン・グッドマン(John Goodman)やドナルド・サザーランド(Donald Sutherland)が演じるキャラクターもプロットを進めるための存在に留まっている.それでもなお,憑依という視覚表現における実験的なアプローチで都市社会の暗部を描いた寓話として,見るべき価値があるだろう.

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原題: FALLEN

監督: グレゴリー・ホブリット

125分/アメリカ/1998年

© 1998 Turner Pictures (I)