▼『社会主義前夜』中嶋洋平

社会主義前夜 ――サン=シモン、オーウェン、フーリエ (ちくま新書 1688)

 サン=シモン,オーウェン,フーリエ.この三人の名を聞けば,多くの人が「空想的社会主義」という言葉を連想するだろう.だが,彼らの一人として社会主義を打ち立てようとした人はいないし,地に足のつかない夢想家でもない.現在から見れば,彼らは社会企業家や社会プランナーとも呼べる存在だった‥‥一九世紀初頭,フランス革命と産業革命という二つの革命によって荒廃し,格差で分断された社会をどのように建て直すのか.この課題に取り組んだ三者の思想と行動を描く――.

 想的社会主義者として知られるアンリ・ド・サン=シモン(Claude Henri de Rouvroy, Comte de Saint-Simon),ロバート・オーウェン(Robert Owen),シャルル・フーリエ(Francois Marie Charles Fourier).「空想的」「社会主義」というレッテルは後世に付与されたものであり,思想の本質を的確に表現しているわけではない.むしろ3人は社会企業家や未来の設計者と呼ぶべき人物であり,その思想は時代を超えて再評価されつつある観点から,3人の生涯と思想を群像劇のように描き出し,社会改革の理想と現実の間に横たわる課題を論じている.18世紀末から19世紀初頭,3人が生きた時代は激動の時期であった.イギリスでは産業革命が進行,フランスではフランス革命が起き,既存の社会構造が根本から揺るがされた.社会的混乱と技術革新が交錯するこの時代に,三者はそれぞれ異なる視点から新しい社会秩序を模索した.背景やアプローチは異なるものの,彼らが共有したのは,人間の尊厳を中心に据えた社会のあり方への深い関心であった.

一九世紀初頭にサン=シモン,オーウェン,フーリエが思想活動や実践活動を開始したことで,社会主義という思想系譜が生まれたことは紛れもない事実である.そして,マルクスとエンゲルスは先駆者たちの構想を批判的に検討しながら,科学的社会主義とも共産主義ともマルクス主義とも呼ばれる自分たちの構想を確立していった

 サン=シモンはフランス貴族の家に生まれながら,フランス革命の中で特権を放棄し,新しい社会秩序を求めた.「産業者」という言葉を用い,労働を基盤とする平等社会の実現を主張した.サン=シモンは若い頃にアメリカ独立戦争に参加し,独立の理念に影響を受けた.思想の先進性を示す例として,ヨーロッパを統一する平和的な経済連携の構想を提唱していた点が挙げられる.これは,欧州連合(EU)の理念に先駆けるものであり,視野がいかに広かったかを物語っている.オーウェンは労働者階級の福利厚生を重視した工場経営者であり,管理したニューラナーク工場では労働条件の改善や子どもたちへの教育が実践された.オーウェンが力を注いだのは,教育が社会改革の基盤であるという信念であった.設立した学校では,当時としては画期的だった「遊び」を重視した教育方法が採用されており,現代の幼児教育に強く影響を与えた.「遊びの中で学ぶ」という理念は,モンテッソーリ教育やフィンランドの教育改革にも共通する要素である.

 オーウェンが構想した協同村「ニューハーモニー」では,男女平等を重視し,女性が意思決定に参加できる社会の設計を試みた.まさに先駆的なジェンダー意識を示すものである.フーリエは,共同体モデル「ファランジュ」で知られている.その思想は,人間の欲望や情念を社会の調和に役立てるという独創的なものであり,一見すると風変わりに見えるが,その中には現代にも通じる深い洞察がある.フーリエの思想には人間の自由を重視する視点が色濃く反映されており,男女が自由に結婚や離婚を選べる社会という考えは,現代の家族観においても議論の対象となるものである.フーリエは商業の不道徳を批判し,商人の行動を「文明の退化」と断じたことがある.これは,資本主義の暴走を懸念し,公正な経済システムの必要性を強調する視点につながるものである.三者の思想は,理想論ではなく,実践を通じて現実化を試みた努力が刻まれている.

サン=シモン,オーウェン,フーリエによって社会主義という思想系譜が生まれた後,この三者の本来的な思想と行動とは必ずしも一致するわけではないままに社会主義が大きく発展していった.したがって,三者に近い立場から社会主義を捉えるのか,三者を「空想的」と形容したマルクスとエンゲルスに近い立場から社会を捉えるのか,あるいは他の思想家の立場から社会主義を捉えるのかによって,社会主義の解釈は大きく変化する.社会主義は実に多義的なものとなってしまったのである

 サン=シモンの産業道徳は,経済活動が平和的な社会構築に寄与する可能性を示唆し,オーウェンの協同村は共同体の持続可能性を模索する実験であった.フーリエのファランジュは,競争を排しつつ個々の特性を活かす社会モデルとして,現代の協同組合運動に影響を与えている.「社会における情念の活用」という発想は,感情経済や幸福学といった分野にも通じる.オーウェンは,知識が社会変革の鍵であるという信念のもと,ニューハーモニーの設立に尽力する際,数千冊の蔵書を持ち込んで図書館を開設している.また,フーリエは都市計画の一環として,大規模な建築物ファランステリーを提案し,その中に劇場や教育施設を設けることで,文化的・教育的活動を推進する構想を持っていた.このような思想は,現代のスマートシティ構想や複合施設の先駆けともいえるだろう.空想的社会主義の理想が現実と衝突した挫折の過程は,理想を抱きつつ現実に向き合うための錯誤という点で重要である.社会的平等,持続可能性,人間の自由――これらの価値を追求する姿勢は,現代においても大いに学ぶべきものである.

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原題: 社会主義前夜―サン=シモン,オーウェン,フーリエ

著者: 中嶋洋平

ISBN: 4480075100

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