17世紀前半,パリから270キロ南西の地方都市ルーダンで起きた,かの有名な悪魔憑き事件.数多の小説や映画の素材とされてきたこの史実を前に,私たちは一様にこう問うことだろう‥‥悪魔は本当に現れたのか?神学者=歴史家である著者ミシェル・ド・セルトーは,厖大な量の原資料(裁判調書,医師の報告書,神学的調書,政治的パンフレット,関係者の書簡,新聞,風刺文書,回想記)を此岸に足を据えた冷静なまなざしで読み込み,言説と資料を並置する周到な構成で,集団憑依事件の「真実」を浮かび上がらせてゆく――. |
宗教的狂気,政治的陰謀,そして人間の心理が複雑に絡み合った,17世紀フランスの「悪魔憑き事件」.1630年代,ウルスラ修道会の修道院で始まった修道女たちの集団現象は,主任司祭ユルバン・グランディエ(Urbain Grandier)の火刑に至った.グランディエはルーダンの教区司祭であり,鋭い弁舌と個性的な魅力で知られていたが,生活態度や自由主義的な思想は教会内部で物議を醸した.グランディエは結婚制度に反対するカトリック聖職者でありながら,恋愛関係を持つなど,規範に反する行動で敵を増やした.背景には,カトリック教会とプロテスタント改革派の間で続く宗教戦争の余波,地方における権力闘争があった.ルーダンはプロテスタントが多く住む地域であり,グランディエの自由主義的な態度が宗教的緊張を助長した可能性が高い.
事件の発端は,ウルスラ修道院の修道女たちが奇怪な行動を取り始めたことである.修道女たちは叫び声を上げ,体をよじらせ,不自然な言語で話し,悪魔の存在を訴えた.グランディエに求愛し拒絶された修道院長ジャンヌ・デ・ザンジュ(Jeanne des Anges)は,グランディエが魔術によって修道女たちを呪ったと告発した.ジャンヌは幼少期の怪我や修道院での抑圧的な環境の影響を受けた複雑な人物であり,その歪んだ精神が事件の鍵を握る.ルーダンの悪魔憑き現象は,当時の医学や心理学の限界を示すものである.悪魔祓いの儀式で悪魔の署名とされる文書が提示されたが,それには逆さ文字や悪魔の名前が書かれていた.この文書は明らかに捏造であったが,当時の人々にとっては信憑性のある証拠とされた.
修道女たちの奇行は,現代の視点から見ると集団ヒステリーや心理的トラウマの症状と解釈できる.このような現象が宗教的に解釈され,魔術の証拠とされた点は,科学的認識が未熟だった時代の特徴である.事件は宗教的スキャンダルにとどまらず,リシュリュー枢機卿(Armand Jean du Plessis de Richelieu)が進めていた中央集権化政策の一環としても利用された.ルーダンの町は自治権を持つ都市であり,リシュリューにとってはその象徴的な独立性が脅威であった.グランディエの裁判は,権力による見せしめとして機能し,彼を罪に問うことで地方自治体や反抗的な勢力に警告を発したのである.リシュリューが裁判を指揮する中で,宗教的正当性が政治的意図に組み込まれたことは明白である.
事件の文化的影響も興味深い.ルーダンの悪魔憑き事件は,その後の文学や演劇,さらには映画に至るまで,多くの作品に影響を与えた.アルドゥス・ハクスリー(Aldous Leonard Huxley)『ルーダンの悪魔たち』,ケン・ラッセル(Henry Kenneth Alfred Russell)の映画「肉体の悪魔」(1971)は,この事件を元にしており,宗教と権力,性的抑圧をテーマにしている.当時のフランスで急速に発展した印刷文化により,この事件はパンフレットや新聞を通じて広く流布され,いわば世論操作の先駆けとなった.グランディエが処刑された理由は,宗教的なものではなく,むしろ政治的なものであった点を考慮しなければならない.ルーダンの事件は,個人の信念がいかにして社会的潮流や政治的野心によって歪められるかを示している.
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Title: LA POSSESSION DE LOUDUN
Author: Michel de Certeau
ISBN: 4622073978
© 2008 みすず書房